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コミュニケーション不足 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

コミュニケーション不足

 囲炉裏は縄文時代から存在していたという。その周りに人々は集まって顔を並べて家族や地域とのコミュニケーションをとってきた。
 昭和30年代に燃料革命が起こり、囲炉裏はなくなりガスや灯油が燃料となった。また、テレビが入ってきて人々はテレビ画面に釘付けになった。家にも子供部屋ができて、家族もバラバラになった。家族や地域のコミュニケーションがしだいに薄れてきた。
 京アニの襲撃事件を巡って未だにその犯人の意図が判明しない。なにゆえにガソリンをまき散らし35人もの大量殺人を犯したのか。何日も前からこの意図を持ち、わざわざ埼玉から出かけて、周到な襲撃計画を練っていたのか。
 犯人は日常的には孤独で対人とのトラブルも絶えなかったようだ。この犯人に親しい友人がいて、日頃の恨みを打ち明けていたら、こうした事件は起こさなかったかもしれない。
 世の中が便利になったおかげで、スーパーで買い物しても店員と顔を合わせず、支払いができる。電車の中でもスマホの画面を見て、車内には人の話し声が聞こえない。
 人は小さいときから面と向かって人と話し、相手の表情や言葉で相手の気持ちを判断し、人との付き合い方を身につけてゆく。これから人との対話の機会がどんどん薄れていって、人間が孤立化への道を突き進んでゆくような気がする。コンピューターの出現が人手不足を解消し、便利になるばかりであるが、一方で失われるものも多い。
 心を開いてコミュニケーションをとることが、ますます必要になってゆくのではあるまいか。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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