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藁の民俗 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

藁の民俗

 黄金波打つ稲がコンバインで刈り取られ、稲藁(わら)が土にまみれている。手刈りのときには一株一株束にして稲架に掛けた。藁は、稲の茎を乾燥させたもの。今は籾(もみ)を取れば藁は捨てられてしまう。
 この藁は燃料、飼料、工芸品・生活用具などの原料としても利用されて、捨てるところは一つもなかった。藁のハカマと言われる下葉をスグリとって、台石の上に載せ、木槌で叩いて軟らかくする。これが様々の生活用品になった。
 撚(よ)り・束ね・組み・編み・巻上げ・織りといった比較的習熟しやすい作業が多い。農作業が出来ない冬などには、老若男女を問わずに現金収入を得るための藁仕事が主たる仕事になった。
 ハカマ部分を藁屑として蒲団材料にもなった。藁を利用して筵(むしろ)に織り、撚りをかけて藁縄にもなった。編んで雨具の藁蓑(みの)にもなった。草履・草鞋(わらじ)などすべて藁の加工品である。藁は牛・馬の餌(飼料)になったほか、余った藁や不要になった藁製品は堆肥としても使われ、近代以前の農村では使い尽くされていた。
 また、注連縄(しめなわ)や藁馬、藁人形などの神事にも欠かせなかった。収穫期にはトラックで藁を業者が買いに来た。これが藁半紙と言われる紙にもなった。一方脱穀されて籾ができ、調製された籾殻は燃料になった。籾殻をヌカと呼び、ヌカ釜でのご飯はおいしかった。サツマイモなど芋穴と呼ぶ土の穴に籾殻を入れ、その中に芋を入れて保存した。
 こうしてみると稲藁は人々にいかに貴重なものであったか。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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