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家族葬 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

家族葬

 最近近所のお年寄りがなくなった。噂が流れるだけで家族葬だったという事だった。かつては、集落全体に知らせが来て香典を届け、故人の出棺を合掌して見送った。
 近年家族葬で寺も呼ばずこじんまりとした葬儀で、直葬するという話も聞く。中には散骨、樹木葬というやり方でお墓にお骨を入れないと聞く。
 それどころか墓仕舞いして、お骨は寺の共同墓地に埋葬するとも聞く。葬儀やお墓への考え方が変わってきたのだ。仏壇やお墓のない家も若い家族には増えてくる傾向にある。菩提寺とも縁も薄くなる墓じまい、家族葬、直葬と時代の変遷とともに日本の葬送儀礼も変わりつつあるようだ。神仏への考え方も時代の風潮という事だろうか。先祖の祭祀を子や孫が引き継ぐ事が負担と考える時代になった。
 供養という言葉は、あの世にいる先祖の冥福を祈ると同時に、先祖に対する感謝の気持ちを伝えることにある。近年若い人たちの間にそうした気持ちが薄くなってきてしまった。
 朝起きると仏壇にお水をあげ、お参りする。大きな試験やスポーツの大会などで、家を出るときには仏壇に手を合わせ、勝利を祈る。神仏に手を合わせることは祀られている先祖に思いをはせ、その力に縋る意味を持つ。現在の自分は、親は勿論祖父、曾祖父と繋がる亡くなった先人のおかげで生きているのだ。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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